砥石・米山城に登っています。
米山城の山頂に到着後、今度は砥石城を目指します。
1度分岐地点まで下って戻り、また登り返し。

階段が約300段、地味にキツイ。

山頂の砥石城に到着。
マップによると分岐地点から15分。

本日は見えませんが、北アルプスも見えるようですね。

関東の富士見100景。
この方向に富士山が見えるよう。
この山に年間300日登っている人の話をちょうど聞いたのだが、
富士山が見えるのはその中でも5日程度と。
早朝がいいみたいですよ。
砥石城からマップで7分。
本城に到着。

真ん中に石垣の後が見えます。
ここは1番広く、いくつかの郭で構成されています。
本城からさらに5分

枡形(ますがた)城に到着。
ここの城砦が一番高く、標高826m。

この後に向かった長谷寺、真田氏本城、角間渓谷方向。
また本城へ戻り、そこから別の道で下山。

城下町として整備された伊勢山の集落を経て、
登り口へと戻りました。
村上、武田、真田、徳川の争いの場となった砥石城。
約1時間半ほどでグルりと周ってこれて、展望もいい場所です。
観光気分よりは登山の気持ちで行くといいかと。
真田氏ゆかりの城歩き。
歴史を感じつつ、適度な運動にもいい場所ですよっ。
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砥石・米山城へ行ってきました。
戸石城の戦い(砥石城の戦い)は、天文十九年(1550)九月、
現在の長野県上田市に屹立する戸石城(砥石城)で行われた武田晴信(信玄)と村上義清の戦い。
砥石城の戦いは武田軍の完敗でした。
兵力的には、7000人の武田軍と、
3分の1程度の2500人の村上軍が相手。
結果として、村上軍の犠牲が皆無に等しいのに対し、
武田軍は武田二十四将に数えられる横田高松をはじめ、
およそ1200人もの将兵を失っています。
武田信玄の生涯の中で、砥石城の戦いは最大の負け戦といわれていまして、
そのためにこの戦いは「
砥石崩れ」と呼ばれています。
武田信玄も落とせなかった砥石城。
その乗っ取りに成功したのが、
真田氏の祖、真田幸隆。
その後真田家を継いだ昌幸が上田城を築くまで、
砥石城周辺を本拠地に勢力をのばしていきます。
そんな砥石城へ登ってみました。

中央左、米山(こめやま)城、右が砥石(といし)城。
砥石城は本城を中心に、枡形城と砥石城の3つの城からなっています。
米山城は支城として脇を固めている。
ちなにみ映画「
サマーウォーズ」の陣内家の設定位置だったりもしていますよ。

しっかりマップもあり所要時間も書いてある。
いざ登り開始っ。

砦の上には登ることができました。
なかなかいい眺め。

なだらかな登り。

米山、砥石城の分岐地点。
マップでは砦からここまで10分。
まずは、米山を目指します。

ちょこっと急坂。
下が砂利で滑るから注意。

分岐からマップタイムで10分で米山城。
村上義清の碑があります。
やや霞んでいましたが、上田の市街地が一望できましたよ。
水分補給をして少し休んでから、
今度は砥石城を目指します。
2へ続く。
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飯山市にある菜の花公園へ行きました。
話には何度も聞いていたのですが、
自分の目で飯山の菜の花は見た事がなかったので、行ってみました。


この建物の中では、菜の花アイスも売っていましたよ。

お昼時だったので、シートを敷いてお昼を食べている人や、
のんびりしている人、アイスを食べている人などなど。
のどかでいい感じですね。


今年は一気に暖かくなったけど、まだ桜も咲いていて、
黄色とピンクの共演が綺麗でしたよ。

絵を描いている人も多数。
その感じもまた画になりますね。

奥には木島平のスキー場。
行ったのが27日ですが、
咲いている場所はビッシリでしたが、
ちょうど菜の花祭りに合わせるために、
上を切ったりもしているようです。
菜の花祭りは5月3、4、5。
ちょうどいいかもしれませんよっ。
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ゴールデンウイーク頃の小布施橋周辺はとっても花が綺麗です。
いい天気だったので、通りがてらによってました。








子供からお年寄りまで幅広く来ていました。
晴れていてとっても気持ちのいい日で人もいっぱい。
カメラマンも多数いて、知らない人とも自然と話をしたりと。
手軽に春が楽しめる場所なので、とってもこの時期にオススメですよっ。
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善光寺の御開帳へ夜に行ったついでに、
すぐ近くの城山の桜も見てきました。

善光寺から城山方向へ。

屋台も出ていました。
彦神別神社の周辺をグルリと。
夜景も見れる場所もあり、写真を撮っている人達も。

花見小屋には沢山の人が。
楽しそうな笑い声が聞こえてきて、いい感じ。

城山動物園へと続く道が一番綺麗。
バーベキューなどをしながら花見をしている人達も発見。

軽くクルッと周ってきただけですが、十分綺麗。
「城山、城山」と何の考えも無く、
地名なのでそう呼んでいたのですが、
彦神別神社がある場所は、
南北朝時代に建てられた「
横山城」の主郭部分なのですっ。
川中島の戦いでは、
謙信の善光寺平の抑えとしての役割を果たす場所でもありました。
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2015年の今年は、数えで7年に1度の善光寺の御開帳の年。
7年前は夜中に回向柱を触りにいって、警備員の人しかおらず静まり返っていました。
そこから7年はあっという間でしたが、また回向柱を触りに行ってきましたよっ。

御開帳の開催を知らせる高札とボンボリ。

11日の夜8時過ぎ頃の仲見世通り。
普段の夜に比べると人は多いけど、
そこまでは混んでいませんでした。

松代から寄進される回向柱は2本あり、
そのうちの1つがここ世尊院(釈迦堂)の前に。
この柱は供養塔と呼ばれ、中の釈迦涅槃像(しゃかねはんぞう)と繋がっている。
釈迦は現世、阿弥陀如来は来世、両方触ることで現来の幸せが叶うと信じられているそうですよ。

今回初のライトアップということもあり、夜に登場。

45㎝角、高さ約10mの回向柱、まじかで見るとかなり大きい。
回向柱には善の綱が結ばれ、本堂へと続く。

善の綱は白色から本堂に入ると5色の糸に変わり、
さらに金糸になって阿弥陀如来像(前立本尊)の右手に繋がっている。
これにより回向柱に触れば、
前立本尊に触れるのと同じ功徳があるとされています。
御開帳で姿を見せるのは本尊の分身として同じ姿で作られた阿弥陀如来像。
前立とは、本尊に変わって立つという意味。
この前立本尊も普段は善光寺の宝物庫に安置されています。

宿坊の前にも回向柱を発見。
大手通りだけでなく、横の通りも入って歩いてみるのもいいですよね。
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